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取材:2015年3月
特急列車で滑り込んだJR松山駅。駅舎を出ると,目の前にはどこか懐かしい街並みと,アスファルトに敷かれた2本の鉄路が広がっている。
愛媛県松山市――ここは,日本でも有数の「路面電車王国」である。
春の柔らかな光が降り注ぐ快晴の午前10時半。高校生である私は,伊予鉄道(伊予鉄)の市内電車が1日乗り放題となる「市内線1日乗車券」(当時500円)をポケットに忍ばせ,大正浪漫の香りが残る城下町へと足を踏み入れた。わずか2時間の間に,日本唯一の鉄道遺産から,夏目漱石の小説から飛び出してきたような蒸気機関車までを五感で味わう,贅沢な軌道旅の記録である。
午前10時30分:JR松山駅前スタート。500円の魔法の切符を手にして
松山の街を効率よく,そして深く旅するなら「市内線1日乗車券」以外の選択肢はない。
これ一枚で,松山市内を縦横無尽に走る路面電車(市内電車)が何度でも乗り降り自由となる。運転士に見せるだけで済むこの切符は,見知らぬ街を旅する高校生の心をどこか大きく,自由にしてくれる。
まずはJR松山駅前から,黄とオレンジ色の車両に乗り込み,東へと向かう。最初の目的地は,鉄道ファンならずとも息をのむ「奇跡の交差点」である。
午前10時45分:大手町駅。轟音と火花が散る「ダイヤモンドクロス」の衝撃
日本でここだけの鉄路の十字路
わずか一駅。大手町(おおてまち)駅で下車する。
この駅の目の前には,全国でも極めて珍しい,そして2015年現在では日本で唯一となった光景が存在する。路面電車の軌道(市内線)と,郊外へと延びる高浜線の線路(郊外線)が,文字通り直角に交わる「ダイヤモンドクロス」である。
路面電車が待避線でじっと息をひそめる中,踏切の警報機が鳴り響く。
やがて,郊外線の3000系電車がガタゴトと車体を揺らしながらやってきた。
「ゴトカン、ゴトカン!」
重厚な金属音が街にこだまし,鉄と鉄が激しくぶつかり合う。直角に交わるレールを車輪が踏み越えるたび,鈍い衝撃波が足元から伝わってきた。私は夢中でカメラのシャッターを切った。ファインダー越しに見るその光景は,大都市の立体交差にはない,平面だからこその剥き出しの迫力に満ちていた。
午前11時15分:南堀端から本町六丁目へ。板張りの床が奏でるノスタルジー
昭和の薫りを残す,木造の温もり
大手町から再び市電に乗り,お堀沿いの南堀端(みなみほりばた)駅へ。ここから本町線へと乗り換える。
やってきたのは,いかにも年季の入ったオールドタイマーな車両であった。
一歩車内へ足を踏み入れると,思わず声を漏らしそうになった。床が,油の染み込んだ見事な「板張り」なのである。
現代の無機質なプラスチックやゴムの床とは違い,歩くたびに「きゅっ」と優しい音がする。
窓から差し込む春の木漏れ日が,茶色い木目の床に長い影を落としていた。
吊り掛け駆動独特の「ウーン」という重低音のモーター音を響かせながら,車はゆっくりと進む。まるで,昭和の時代へタイムスリップしたかのような錯覚を覚えるほど,車内には濃密な情緒が満ちていた。終点の本町六丁目駅に着く頃には,この古い車両にすっかり愛着が湧いていた。
午前11時50分:古町駅から,時空を超える「坊っちゃん列車」へ
現代に蘇った、夏目漱石の愛した鉄馬
本町六丁目からまた路面電車に乗車しすぐの古町(こまち)駅へと移動する。ここは郊外線の車庫も併設された,伊予鉄の要衝である。
ここで待っていたのは,今回の旅のハイライト,「坊っちゃん列車」だ。
夏目漱石の小説『坊っちゃん』の中で,「マッチ箱のような汽車」と評された蒸気機関車。現在の車両は,それを環境に優しいディーゼルエンジンで忠実に復元したものである。
乗車券とは別に「坊っちゃん列車乗車券」(当時300円)を支払い,木製の客車へと乗り込む。
「ポッ――」という,哀愁を帯びた汽笛が快晴の空に響き渡る。
ゴトゴトと揺れる客車は,確かにマッチ箱のように小さく,どこか愛らしい。車掌さんが身にまとうレトロな制服も,旅の雰囲気を一層盛り上げてくれる。
車窓に広がる松山の歴史と現在
列車は古町を出発し,松山の中心街へと進む。
車窓の左手,小高い山の上にそびえ立つのは松山城の天守閣である。白壁が青空に映え,かつてこの地を治めた藩主の威厳を今に伝えている。
続いて見えてくるのは,重厚な近代建築である愛媛県庁本館。昭和初期に建てられたその美しいドーム状の屋根を眺めながら,列車はゆっくりとギヤを鳴らして走る。
行き交う現代の自動車や歩行者が,こちらを珍しそうに振り返り,手を振ってくれる。自分が歴史の一部になったような,誇らしい気持ちに包まれた。
午後12時30分:終着・道後温泉駅。湯の香りに導かれて
時計の針が12時半を回る頃,坊っちゃん列車は終点,道後温泉駅へと滑り込んだ。
駅舎は明治時代の洋風建築を復元したもので,その緑と白のコントラストが,快晴の空によく映える。
客車を降りると,かすかに硫黄の甘い香りが風に乗って運ばれてきた。日本最古の温泉地、道後。
わずか2時間足らずの路面電車の旅であったが,ダイヤモンドクロスの興奮,板張り車両の追憶,そして坊っちゃん列車での時間旅行と,まるで一編の短編小説を読み終えたかのような,充実した高揚感が胸を満たしていた。
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