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取材:2014年8月
プロローグ:真夏の光と,消えゆく記憶を追いかけて
2014年8月。うだるような暑さの夏休み,私は青春18きっぷを握りしめ,群馬県を走るJR吾妻線(あがつません)を目指していた。目的は,近い将来,八ッ場(やんば)ダムの底へと沈みゆく激動の車窓を,そして今なお昭和の面影を残す国鉄型車両の姿を,この目に焼き付けることである。高校生の私にとって,それは単なる物見遊山の旅ではなく,失われゆく歴史の一片を記録するための,少し背伸びをした「旅」であった。
午前8時30分,旅の始まりは前橋駅である。群馬県の県庁所在地であるこの駅から,まずは両毛線の105系電車に乗り込んだ。カタンコトンと小気味よい音を立てて,列車は新前橋駅へと滑り込む。ここで吾妻線直通の列車に乗り換えるのだ。
ホームで待っていたのは,湘南色の帯を纏った115系電車であった。重厚な鋼製車体,懐かしいコンプレッサーの音が足元から響く。冷房の効いた車内に入り,ボックスシートに身を委ねると,旅情は一気に加速した。快晴の空の下,列車は渋川駅から吾妻線へと入り,山深い吾妻川の渓谷に沿って坂を登り始めた。
刻一刻と迫る水没の足音。旧・川原湯温泉駅での邂逅
列車が目的地である川原湯温泉(かわらゆおんせん)駅に到着したのは,午前10時前のことであった。
ホームに降り立った瞬間,私は思わず息を呑み,上空を見上げた。はるか空高く,山と山を結ぶ巨大なコンクリートの構造物――「八ッ場大橋」が架かっていた。それに対して,私が立っているホームは深い谷の底にある。数年後には,この駅も,線路も,すべてがダムの底に没するという現実が,圧倒的な高低差となって視覚に突き刺さる。
駅構内を散策する。歴史を重ねた木造の駅舎は,どこか毅然とした佇まいで最後の夏を迎えていた。駅の周囲を歩けば,そこかしこに「終わり」と「始まり」の境界線が転がっている。
いつかはダムの底に沈む運命の踏切。吾妻川の清流を渡る古びた鉄橋。そして,新しく生まれ変わる街のグランドデザインが描かれた「八ッ場ダムの案内板」。高校生の拙い感傷かもしれないが,蝉時雨(せみしぐれ)のなかに消えていく踏切の警報機の音が,まるで駅の呼吸のように愛おしく思えた。この景色は,いま,この瞬間にしか存在しない。
【旅のヒント(2014年8月現在)】
川原湯温泉駅は,2014年10月の線路切り替えに伴い,高台の新駅へ移転が予定されています。この木造駅舎と谷底の景色を見られるのは,本当に今だけの限られた時間です。
終着駅の孤独。未成線に思いを馳せる「大前駅」
川原湯温泉駅から再び115系に乗り込み,列車はさらに奥地へと進む。11時過ぎ,主要駅である長野原草津口駅に到着した。ここで一度改札を出て,駅周辺の食堂で少し早めの昼食をとることにする。地元の名物である舞茸天ぷら饂飩(うどん)を喉に滑らせると,旅の緊張が心地よく解けていった。
エネルギーを補給し,12時過ぎの列車でさらに吾妻線の最深部を目指す。目指すは終点,大前(おおまえ)駅である。
多くの観光客が草津温泉への玄関口である長野原草津口や万座・鹿沢口駅で下車するため,大前行き列車の車内はガラガラだった。13時半,列車は静かに終着・大前駅の単式ホームに滑り込んだ。
駅の周囲には,豊かな緑と数軒の民家,そして寂しげに途切れた線路があるだけだった。この先,線路は信越本線の越後湯沢方面へと繋がるはずだった「未成線」の歴史を持つ。わずかな折り返し時間の中,私は線路の車止めを見つめながら,結ばれることのなかった鉄路の未来に思いを馳せた。行き止まりの駅が持つ特有の孤独感が,夏の強い日差しに溶けていくようだった。
日本一短いトンネル「樽沢トンネル」を窓辺から
13時半過ぎ,大前駅から折り返しの高崎行き列車に乗車する。復路のハイライトは,岩島駅と川原湯温泉駅の間に存在する「樽沢(たるさわ)トンネル」の撮影である。全長わずか7.2m。日本一短い鉄道トンネルとして知られるこの場所も,ダム建設による新線切り替えによって,まもなく線路ごと放棄される運命にある。115系の窓を開け,カメラを構える。山間部を軽快に走る列車の風が心地よい。
「ガタゴト、ガタゴト……」
規則正しいリズムが急に速くなったかと思うと,一瞬だけ車内が暗くなり,すぐに真夏の光が戻ってきた。
「カシャ」
おもちゃのように小さな,しかし確かに岩盤をくり抜いて作られた樽沢トンネルの姿を,ファインダー越しに捉えることができた。この小さなトンネルが,半世紀以上も列車を守り続けてきたのだと思うと,胸が熱くなった。
エピローグ:高崎駅での終幕と,旅の余韻
列車は山を降り,関東平野へと戻っていく。車窓の緑は次第に住宅地へと変わり,16時ちょうど,終点の高崎駅に到着した。
楽しかった旅が終わる。新前橋で出会った115系の旅は,ここで幕を閉じた。上越線や信越本線の車両がひしめく高崎駅のホームに降り立つと,ついさっきまで見ていた吾妻線の深い渓谷や,沈みゆく川原湯温泉の景色が,まるで遠い幻だったかのように思えてくる。
しかし,私の手元のカメラには,確かにあの夏の光と,115系の硬いシートの感触,そして消えゆく街の記憶が刻まれている。変わりゆく時代の中で,変わらないローカル線の魅力を再発見した,最高の夏の記録である。
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