列車の旅

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【鉄路の青き異形】南海特急ラピートβでゆく関空への旅。道頓堀の熱気と近未来の風

本ページはプロモーションが含まれています取材:2014年1月鉄の街から海上の空へ。冬の大阪を走り抜ける,紺碧の弾丸冬の凍てつく風が,地下から這い上がる人の熱気と混ざり合う。2014年1月。大阪市営地下鉄御堂筋線のなんば駅に降り立った私は,吐き出す乗客の波に押されるようにして地上へと向かった。冬休みの旅を満喫している高校生の私は,大阪という巨大な都市の心臓部に足を踏み入れた高揚感に包まれていた。これから目指すのは,日本の美意識と近未来のデザインが融合した「南海電鉄の至宝」である。しかしその前に,まずは大阪の生命力が最も色濃く漂う,あの川沿いの盛り場へと歩みを進めることにした。御堂筋を北へ進み,戎橋(えびすばし)の上へ立つ。眼前に広がったのは、お馴染みの巨大なランナーの看板や,せわしなく明滅するネオンサイン,そして独特の調子で飛び交う関西弁の嵐。ここが「道頓堀」である。道頓堀の歴史は,江戸時代初期の慶長20年(1615年),安井道頓(やすいどうとん)らが私財を投じて開削した運河に始まる。かつては芝居小屋が立ち並び,天下の台所と呼ばれた大阪の食文化と娯楽の中心地として栄えてきた。冬の昼下がり...[続く]
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【阪急今津線】マルーン色の電車に揺られて。映画『阪急電車』の舞台と,片道15分の小旅行

本ページはプロモーションが含まれています取材:2014年1月マルーン色の車両が運ぶ奇跡。映画『阪急電車』の舞台,今津線を往く冬の午後冬の柔らかな陽光が,マルーン色の車体に反射して美しくきらめいている。2014年1月。映画『阪急電車 片道15分の奇跡』の公開から3年近くが経とうとする冬下がり,私は阪急今津線の始発駅である宝塚駅のホームに立っていた。旅の自由を噛み締めている高校生の私を待っていたのは,マルーン色に気高く輝くお馴染みの車両である。映画の中で数々の温かい奇跡を生み出したあの路線を,自ら旅しファインダー越しにその息吹を感じてみたい。そんな淡い期待を胸に,昼下がりの穏やかな光の中,列車はゆっくりと動き出した。阪急今津線(北線)は,宝塚駅から西宮北口駅までの7.7キロメートルをわずか14分ほどで結ぶ,阪急電車の重要な支線である。大正10年(1921年)に西宝線として開業して以来,阪神間のベッドタウンを繋ぐ生活の足として愛され続けてきた。映画の原作となった有川浩の小説,そして映画そのものが描いたのは,この短い路線を行き交う人々の,ささやかで,けれど人生を少しだけ変えるような心の交流であ...[続く]
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【阪急今津線】マルーン色の電車に揺られて。映画『阪急電車』の舞台と,片道15分の小旅行

本ページはプロモーションが含まれています取材:2014年1月マルーン色の車両が運ぶ奇跡。映画『阪急電車』の舞台,今津線を往く冬の午後冬の柔らかな陽光が,マルーン色の車体に反射して美しくきらめいている。2014年1月。映画『阪急電車 片道15分の奇跡』の公開から3年近くが経とうとする冬下がり,私は阪急今津線の始発駅である宝塚駅のホームに立っていた。旅の自由を噛み締めている高校生の私を待っていたのは,マルーン色に気高く輝くお馴染みの車両である。映画の中で数々の温かい奇跡を生み出したあの路線を,自ら旅しファインダー越しにその息吹を感じてみたい。そんな淡い期待を胸に,昼下がりの穏やかな光の中,列車はゆっくりと動き出した。阪急今津線(北線)は,宝塚駅から西宮北口駅までの7.7キロメートルをわずか14分ほどで結ぶ,阪急電車の重要な支線である。大正10年(1921年)に西宝線として開業して以来,阪神間のベッドタウンを繋ぐ生活の足として愛され続けてきた。映画の原作となった有川浩の小説,そして映画そのものが描いたのは,この短い路線を行き交う人々の,ささやかで,けれど人生を少しだけ変えるような心の交流であ...[続く]
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【時をかける黄金の列車】「ジパング平泉2号」で行く,奥州平泉ノスタルジー紀行

本ページはプロモーションが含まれています取材:2013年7月序:日常を脱ぎ捨て,黄金の郷へ2013年7月。私は盛岡駅のホームに立っていた。ポケットのスマートフォンが,現代という日常の重みをちっぽけに主張している。しかし,今日私が向かうのは,ここからおよそ1000年も前の過去――奥州藤原氏が築き上げた,みちのくのユートピア,平泉である。日常の喧騒を切り裂くようにしてホームに入線してきたのは,漆黒の車体に金色のラインをまとった,どこか厳かな列車であった。JR東日本が誇る観光快速「ジパング平泉2号」。その名の通り,かつてマルコ・ポーロが東方見聞録で記した「黄金の国・ジパング」をコンセプトに,2012年のいわてデスティネーションキャンペーンに合わせてデビューしたばかりの485系リゾート列車である。若者にとって,列車の旅とは単なる移動手段に過ぎないことが多い。しかし,この「ジパング」は違った。一歩足を踏み入れた瞬間,そこはすでに平泉の序章として完成されていたのである。承:黒と金の動く城――ジパング平泉2号の衝撃乗車してまず驚かされるのは,1号車と4号車に設けられた展望車,そしてそこに並ぶ大画面の...[続く]
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海の鳴る駅へ。廃線前夜の江差線をゆく,往復160キロの叙情旅【2013年7月・完全乗車記】

本ページはプロモーションが含まれています取材:2013年7月2013年の夏。高校生だった私は,1枚の切符を握りしめて函館駅のホームに立っていた。目的はひとつ。翌年春に部分廃線が決定していた,JR江差線(木古内〜江差間)の終点を見届けることである。鉄道ファンでなくとも,「廃線」という言葉には,どこか胸を締め付ける響きがある。歴史の荒波と過疎化の波に抗えず,やがて地図から消え去る鉄路。その最期の輝きをこの目に焼き付けたいという衝動は,多感な時期の私を北の大地へと駆り立てるに十分であった。旅情を誘うディーゼル音,車窓を濡らす海霧,そして終着駅に漂う静寂。13年7月のあの日,私が駆け抜けた江差線往復の旅路を,当時の空気感そのままに振り返りたい。函館駅から出発:日常から非日常への境界線お昼過ぎの函館駅は,観光客と地元客が入り混じり,独特の活気に満ちていた。しかし,私が乗り込んだ江差線直通の1両編成のキハ40形気動車(ディーゼルカー)の車内には,どこか寂しげな空気が流れていた。名残を惜しむように車窓を見つめる旅人たちもいれば,いつものように「日常」を過ごす人々もいる。定刻になり,列車はゆっくりと動...[続く]
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【時をかける黄金の列車】「ジパング平泉2号」で行く,奥州平泉ノスタルジー紀行

本ページはプロモーションが含まれています取材:2013年7月序:日常を脱ぎ捨て,黄金の郷へ2013年7月。私は盛岡駅のホームに立っていた。ポケットのスマートフォンが,現代という日常の重みをちっぽけに主張している。しかし,今日私が向かうのは,ここからおよそ1000年も前の過去――奥州藤原氏が築き上げた,みちのくのユートピア,平泉である。日常の喧騒を切り裂くようにしてホームに入線してきたのは,漆黒の車体に金色のラインをまとった,どこか厳かな列車であった。JR東日本が誇る観光快速「ジパング平泉2号」。その名の通り,かつてマルコ・ポーロが東方見聞録で記した「黄金の国・ジパング」をコンセプトに,2012年のいわてデスティネーションキャンペーンに合わせてデビューしたばかりの485系リゾート列車である。若者にとって,列車の旅とは単なる移動手段に過ぎないことが多い。しかし,この「ジパング」は違った。一歩足を踏み入れた瞬間,そこはすでに平泉の序章として完成されていたのである。承:黒と金の動く城――ジパング平泉2号の衝撃乗車してまず驚かされるのは,1号車と4号車に設けられた展望車,そしてそこに並ぶ大画面の...[続く]
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【485系白鳥】津軽海峡を越える。青函トンネルに消えた,北東の鉄路の記憶

本ページはプロモーションが含まれています取材:2013年7月2013年7月。高校生だった私は,まとまった夏休みを利用して,1枚の切符を握りしめていた。目的地は北海道。しかし,今や誰もが選ぶであろう北海道新幹線は,この時まだ影も形もない。あったのは,青森と函館を結ぶ「特急白鳥」,そして青森と札幌を夜通し走る「急行はまなす」が最後の輝きを放っていた時代である。今回乗車したのは、国鉄時代からの伝統を色濃く残す485系3000番台・特急「白鳥23号」である。新幹線開業を数年後に控え,青函の鉄路が激変しようとしていたあの夏。本州の果てから海の向こうへと渡った,ある日の旅路をここに書き残しておきたい。本州の終着駅,青森駅の哀愁13時過ぎ。リゾートしらかみを降り,青森駅のホームに立つと,潮の香りが微かに鼻腔をくすぐった。かつて青函連絡船が就航していた時代,この駅は本州の文字通りの「終着駅」であり,北海道への「玄関口」であった。連絡船が廃止されて四半世紀が経った2013年現在でも,長く伸びたホームや,跨線橋の古びたコンクリートには、かつて数多の旅人が行き交った時代の哀愁がべっとりと張り付いている。不意...[続く]
列車の旅

【リゾートしらかみ】五能線の風に吹かれて。青と緑の幻想紀行

本ページはプロモーションが含まれています取材:2013年7月フェリーで秋田に到着,その続きのお話。緑の列車が運ぶ,夏の予感次に目指すのは,鉄道ファンの間で「一度は乗るべき路線」として必ず名が挙がる五能線。そして私を待っていたのは、橅(ぶな)の木々を思わせる鮮やかな緑色をまとった「リゾートしらかみ1号」である。2013年現在,この「橅編成」はリゾートしらかみの運行開始当初からの歴史を背負う,どこかノスタルジックな気品を漂わせた車両だ。キハ48形気動車を改造したその車体に一歩足を踏み入れると,大きな窓から差し込む夏の光が,旅の始まりを雄弁に告げていた。午前8時20分,列車は静かに秋田駅を滑り出した。能代駅の挑戦:ホームに響く歓声とバスケの街列車は奥羽本線を北上し,東能代駅からいよいよ五能線へと入る。最初のハイライトは,すぐに訪れた。バスケの街として全国にその名を知られる能代市の中心駅,能代駅である。ここでは「リゾートしらかみ1号」の乗客のために,10分間の停車時間が設けられている。ホームに降り立つと,そこには本物のバスケットゴールが設置されていた。「シュートが決まれば,記念品を差し上げます...[続く]
駅巡り

【駅旅】消えゆく地上駅・脇野田。北陸新幹線開業前夜,変わりゆく信越本線の記憶を歩く

本ページはプロモーションが含まれています取材:2013年7月2015年春の足音と、消えゆく「日常」2013年 7月。夏の瑞々しい青葉が,どこか湿気を含んだ風に揺れている。いま,鉄道ファンの熱い視線が注がれている場所がある。2015年春に開業を控えた北陸新幹線(長野〜金沢間)の沿線だ。新しい時代の幕開けは,同時に,古き良き景色の終焉を意味する。新幹線がもたらす「速さ」と引き換えに,私たちは何を失ってしまうのだろう。そんな感傷に背中を押され,私は列車に乗り込んだ。目指すは,信越本線の小さな木造駅舎――「脇野田(わきのだ)駅」。新幹線「上越妙高駅」の建設に伴い,ルートごと移設され,その姿を消すことが決まっている駅だ。直江津から普通列車に揺られ,最後は今や貴重となった国鉄型特急車両で走る「快速くびき野」で新潟へ。変わりゆく新潟の鉄路の「今」を焼き付ける,短い旅の記録をお届けする。直江津駅から始まる旅。交差する過去と未来旅の始まりは,かつて日本海側の交通の要衝として栄えた直江津(なおえつ)駅。信越本線と北陸本線が交わるこの巨大なターミナル駅も,新幹線が開業すれば,並行在来線としてJRから第三セク...[続く]
列車の旅

【鈍行の奇跡】超特急が駆ける鉄路を,あえて普通列車でゆく。ほくほく線で出会った里山とアートの記憶

本ページはプロモーションが含まれています取材:2013年7月韋駄天たちの高架線を,揺られながらゆく。小雨の魚沼盆地に響く,1両編成の鼓動夏の雨は,すべてを濃い緑へと変えていく。2013年7月。小雨がアスファルトを静かに濡らす昼下がり,私はJR上越線の新幹線停車駅,越後湯沢駅を訪れていた。夏休みの旅に出た高校生の私は,ある「特別なローカル線」へ乗車するためにこの地を訪れた。目指すは,北越急行ほくほく線。首都圏と北陸地方を最短距離で結ぶため,平成9年(1997年)に開業した高規格地方鉄道である。当時のほくほく線といえば,JR西日本の特急「はくたか」が最高時速160キロメートルという,在来線国内最高速度で駆け抜ける大動脈としてその名を轟かせていた。新幹線並みの高架線と一直線のトンネル群。そんな韋駄天たちが主役の鉄路を,あえて2両や1両編成の「普通列車」でのんびりと旅する。それこそが,効率と速さを求める現代において,贅沢で少しばかりへそ曲がりな,高校生の私なりの冒険であった。乗車した115系の普通列車は,越後湯沢駅を滑らかに発車した。上越線の線路をしばらく進み,やがて列車は,ほくほく線の実質的...[続く]