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取材:2014年3月
漆黒のホーム,旅情の青。歴史の境界線で待つ「あけぼの」
東北の夜の底から,冷たい風が吹き抜けていく。
2014年3月。定期運行の廃止という運命のダイヤ改正をわずか数日後に控えた春休み,私はJR秋田駅のプラットホームに立っていた。高校生の私にとって,これから人生最初で最後になるかもしれない,ある特別な列車を待っていた。その名は寝台特急「あけぼの」。上野と青森を,羽越本線・奥羽本線経由で結び続けた,日本の一時代を象徴する伝統のブルートレインである。
寝台特急「あけぼの」は,昭和45(1970)年の運行開始以来,東京と北東北を結ぶ大動脈として,出稼ぎの労働者やビジネスマン,そして多くの旅人を運び続けてきた。
しかし,新幹線網の拡大や夜行高速バスの台頭,そして車両の老朽化には抗えず,2014年3月15日のダイヤ改正をもって、ついにその長い定期運行の歴史に幕を下ろすことが決定していた。遠くの闇から「ゴォー……」という重厚な地響きとともに,青い客車の列を従えた電気機関車が滑り込んでくる。車体に掲げられた「あけぼの」のヘッドマークが,ホームに浮かび上がった。
午後9時過ぎ,24系客車独特の金属質なドアが開き,私は懐かしい「国鉄」の匂いが漂う車内へと足を踏み入れた。
2段ベッドの小宇宙。車内散策で触れる「昭和の設計思想」
今回私が確保できたのは,ブルートレインの基本とも言える「B寝台(開放式2段ベッド)」の寝台である。
通路に沿って並ぶ,青いモケットのベッド。幅わずか70センチメートルほどの空間に,丁寧に折り畳まれた浴衣と白いシーツ,そして薄い掛け布団が用意されている。高校生の私にとって,この狭く秘密基地のような空間は,何物にも代えがたい極上の特等席であった。
列車が秋田駅を静かに発車すると,客車特有の「ガクン」という大きな衝撃とともに,ディーゼル発電機の低い唸りが床下から伝わってきた。私は荷物をベッドに置き,名残惜しい車内の空気を記憶に焼き付けるべく,車内散策へと出かけた。
■ 2014年3月現在・寝台特急「あけぼの」の編成美
当時の「あけぼの」は,個室寝台「シングルツイン」や「ツインデラックス」,さらには寝台料金が不要で座席扱いで乗れる「ゴロンとシート」など,多様なニーズに応えるバリエーション豊かな客車を連結していた。
狭い通路を歩き,連結部の重い扉を開けるたびに,レールのジョイント音が「ガタゴト,ガタゴト」と激しく耳を打つ。
洗面台に並ぶ,折りたたみ式の小さな灰皿や,冷水機に備え付けられた懐かしい紙コップのホルダー。そのすべての造形に,昭和という時代が求めた機能美と,長年愛されてきた鉄路の歴史が刻まれていた。個室の扉の向こうからは旅人たちの静かな話し声が漏れ,開放式B寝台の通路では,夜の車窓をじっと見つめる年配の鉄道ファンの姿があった。誰もが,この青い名車の最期を,それぞれの方法で惜しんでいるようであった。
日本海の闇から越後の山へ。揺籠(ゆりかご)の中で聴くジョイント音
自席のベッドに戻り,シーツを敷いて横になる。
カーテンを少しだけ開けると,窓の外には羽越本線の漆黒の日本海が広がっていた。時折,遠くにポツリと見える漁火や,踏切の警報機が「カンカンカン……」と一瞬で背後へ過ぎ去っていく。
■ ブルートレインの寝心地
機関車が客車を牽引する寝台特急の揺れは,現代の電車とは全く異なる。それは,レールとレールの継ぎ目を越えるたびに体全体を優しく揺らす,さながら「鉄の揺籠」のようである。
列車は坂町、新津と,深夜の新潟県内を滑るように南下していく。
私は心地よいジョイント音に抱かれながら,深い眠りへと落ちていった。国境の長い清水トンネルを抜けるとき,かすかにエンジンの音が変わったような気がしたが,それすらも夢の境界線の出来事のようであった。
白々明ける高崎線。上野駅13番線,最後の旅路の終着
ふと目を覚ますと,車内には「ハイケンスのセレナーデ」の美しくもどこか哀愁を帯びたオルゴールのチャイムが響いていた。時刻は午前6時前。列車はすでに高崎線を快走しており,窓の外には朝靄に包まれた関東平野の住宅街が白々と明けていく様が見えた。
浴衣から私服へと着替え,シーツを丁寧に畳む。
大宮駅を過ぎ,列車が速度を落とすと,車内放送が最後の案内を告げた。
「長らくのご乗車,お疲れ様でした。まもなく,終点,上野です。まもなく,終着駅に到着いたします……」
午前6時58分。寝台特急「あけぼの」は,定刻通り上野駅の地平ホーム「13番線」へと滑り込んだ。
行き止まり式の厳かなホームには,早朝にもかかわらず,一時代の終焉を見届けようとする数え切れないほどの鉄道ファンやカメラマンが集まっていた。
ホームに降り立ち,一晩の旅を共にした青い客車を見上げる。その車体は,幾度もの雪を越えてきた証だろうか,わずかに煤け,傷つきながらも,最後まで誇り高く走り抜いた威厳に満ちていた。
秋田の闇から始まり,狭いB寝台の温もりに身を委ね,上野のまばゆい朝へと繋いだ,この奇跡のような夜行の旅。
通り過ぎれば,時代の波に消えゆく過去の遺物。しかし,あの窓外を流れた漆黒の車窓と,13番線ホームに漂っていた惜別の熱気は,高校生の私の拙い感性を心地よく揺さぶり,リュックサックの中に目に見えない確かな豊かさを満たしてくれた。
私は,日常の通勤客が行き交う中央改札口へと向かうため,重厚なホームを歩き始めた。改札の向こうに広がる東京の喧騒を見上げながら,私は今日体験したブルートレインのレールの響きと,ひとつの時代が完結した瞬間の重みを,胸の奥でそっと反芻し続けたのである。
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