【津軽海峡の記憶】黄色い船体が紡ぐ,消えない汽笛の物語。青函連絡船「八甲田丸」と海の昭和史

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取材:2013年7月

津軽海峡の波涛を越えて。青森駅のホームの先に眠る,巨大な迷宮への扉

夏の鈍い光が,どこまでも続く平らな海面を白く照らしていた。

本州の北の終着駅,JR青森駅のホームに降り立つと,磯の匂いを孕んだひんやりとした風がリュックサックを背負った私の頬をなでた。夏休みの旅を続ける高校生の私は,かつて数多の旅人たちが胸を締め付けられるような思いで眺めたであろう,あの「津軽海峡」の波際へと歩みを進めた。駅の跨線橋を渡り,海沿いの遊歩道を少し進むと,青空を背景にひときわ鮮やかな,向日葵のような黄色い船体が突如として姿を現した。

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その名は「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」。昭和63年(1988年)の青函トンネル開業とともにその役目を終え,現在は青森港に当時の姿のまま係留・公開されている、日本初の鉄道連絡船ミュージアムである。

青函連絡船は,明治41年(1908年)から日本の高度経済成長,そして昭和の終焉に至るまでの大半の時代,本州と北海道という二つの大地を繋ぎ続けた国家的な大動脈であった。

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かつて石川啄木が「青森の駅の山手に/うち向ひ/そつと生命を(おのれを)孤悲(した)ふ街の灯(あかり)かな」と詠み,太宰治がその別れの情景を描いた北の玄関口。青函トンネルが開通した現代において,新幹線や特急列車は津軽海峡の底を何事もなかったかのように通り過ぎていく。しかし,かつての旅人にとって,海を渡るということは一大決心であり,この連絡船こそが,未知なる北の大地へと踏み出すための唯一無二の架け橋であったのだ。

観覧料(2014年改定前の2013年7月現在。高校生は300円)を支払い,タラップを上って船内へと足を踏み入れる。その瞬間,船特有の重厚な鉄の匂いと,微かに残る機械油の薫りが,高校生の私を瞬時に昭和のあの時代へと連れ戻した。

操舵室から仰ぐ津軽海峡。響き渡る消えない汽笛

八甲田丸の総トン数は5382トン,全長は132メートルに及ぶ。船内は幾層ものデッキに分かれており,客室や操舵室など見どころは尽きないが,まず私が目指したのは最上層に近いブリッジ(操舵室)であった。

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明るい光が差し込むガラス窓の向こうには,小波が立つ穏やかな青森湾と,その向こうにかすむ下北半島の山影が広がっていた。羅針盤やクラシックなレーダー,無数のスイッチが並ぶ計器類は,今も現役さながらの鈍い輝きを放っている。

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高校生の私は,かつてキャプテンが握ったであろう大きな舵輪にそっと触れてみた。
昭和29年(1954年)の洞爺丸事故という未曾有の悲劇を乗り越え,より安全に,より確実に北の海を渡るために進化を遂げた津軽海峡の航路。幾度となく猛烈な吹雪に視界を奪われ,牙をむく荒波に揉まれながらも,この窓からじっと前を見据え,数千人の命を預かり続けた海の男たちのプライドが,この神聖な空間には満ち満ちていた。

■ 八甲田丸 散策ミニ知識(2013年7月現在)
八甲田丸は青森駅から徒歩約5分。開館時間は夏期(4月〜10月)が午前9時から午後7時まで(入館は6時半まで)となっており,夕刻に訪れれば,船上から暮れゆく青森港の美しい夕景を眺めることもできる。年中無休(冬期一部休館あり)で旅人を迎えてくれる。
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見学を終え,最上階の飛行甲板(遊歩デッキ)へと出ると,夏の終わりの少し生暖かい海風が私の髪を揺らした。
ちょうどスピーカーから「ウー」という,お腹の底に響くような,深く哀切に満ちた音が鳴り響いた。かつて青森港を出航する際,街全体に響き渡ったという八甲田丸の「補助汽笛」の音である。

その長く尾を引く音色は,津軽海峡の海原へと吸い込まれ,かつてこの地で別れを惜しみ,あるいは未来を夢見て旅立った何百万人もの人々の記憶を呼び覚ますかのようであった。新幹線のスピードでは決して味わえない,1便1便の航海に込められた旅情。高校生の私の胸に、切なさと、ある種の厳粛な感動が満ちていく。

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船のなかに敷かれたレール。世界でも稀なる「車両甲板」の衝撃

続いて訪れたのは,この船の心臓部とも言える最下層の空間であった。階段を下り,目の前の扉が開いた瞬間,私はその圧倒的な光景に息を呑んだ。
薄暗い巨大な船体の底に,本物の「線路」が4列,真っ直ぐに伸びていたのである。そこは「車両甲板」と呼ばれる空間であった。

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八甲田丸は,単に人間や荷物を運ぶだけの船ではない。本州の線路を走ってきた貨車や客車を,そのまま船の中に吸い込み,海を渡らせて北海道の線路へと直結させる「鉄道連絡船」であった。

■ 鉄道連絡船という驚異の技術
岸壁に設けられた可動橋から,船尾のハッチを通じて列車が直接船内へと進入する。八甲田丸は,1回につき最大で48両もの貨車を積載することが可能であった。船の復原性を保ちながら,重量物である列車を安全に配置・固定する技術は,当時の日本の造船・鉄道技術の結晶そのものである。

線路の上には,かつて全国を駆け巡ったキハ82系特急形気動車や,漆黒の貨車が当時のままの姿で固縛され,眠りについていた。
しんと静まり返った甲板の底で,錆びついた鉄路のジョイントを見つめていると,ガタゴトと音を立てて船内へと送り込まれてきた列車の振動や,操車係たちの鋭いホイッスルの音が,闇の向こうから聞こえてくるような錯覚に囚われる。効率を追い求める現代の輸送システムからは引退したものの,ここには確かに,日本の戦後復興と物流を命がけで支えた男たちの熱き鼓動が,消えない体温のように残っていた。

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船を降り,再び青森駅のホームへと戻る。
歩を進める私のリュックサックには,あの黄色い船体の中で出会った鉄道の記憶と,海を渡った人々の祈りが,目に見えない確かなお守りのように仕舞い込まれていた。私は,次の目的地へと向かう列車の入線を待ちながら,津軽海峡に消えた美しい汽笛の残響を,胸の奥でいつまでも,いつまでも反芻し続けたのである。

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