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取材:2013年7月
韋駄天たちの高架線を,揺られながらゆく。小雨の魚沼盆地に響く,1両編成の鼓動
夏の雨は,すべてを濃い緑へと変えていく。
2013年7月。小雨がアスファルトを静かに濡らす昼下がり,私はJR上越線の新幹線停車駅,越後湯沢駅を訪れていた。夏休みの旅に出た高校生の私は,ある「特別なローカル線」へ乗車するためにこの地を訪れた。目指すは,北越急行ほくほく線。首都圏と北陸地方を最短距離で結ぶため,平成9年(1997年)に開業した高規格地方鉄道である。
当時のほくほく線といえば,JR西日本の特急「はくたか」が最高時速160キロメートルという,在来線国内最高速度で駆け抜ける大動脈としてその名を轟かせていた。新幹線並みの高架線と一直線のトンネル群。そんな韋駄天たちが主役の鉄路を,あえて2両や1両編成の「普通列車」でのんびりと旅する。それこそが,効率と速さを求める現代において,贅沢で少しばかりへそ曲がりな,高校生の私なりの冒険であった。
乗車した115系の普通列車は,越後湯沢駅を滑らかに発車した。上越線の線路をしばらく進み,やがて列車は,ほくほく線の実質的な起点であり,最初の途中下車駅である「六日町(むいかまち)駅」へと滑り込んだ。
豪雪の記憶を宿す分岐点と,十日町の十字路
六日町駅で一度改札を出ると,しっとりと雨に濡れた魚沼盆地の山並みが間近に迫る。
ここは古くから三国街道の宿場町として栄え,日本有数の豪雪地帯としても知られる街だ。駅舎の機能的な佇まいとは対照的に,一歩街へ出れば,冬の豪雪をしのぐためのアーケード「雁木(がんぎ)」の面影がどこか残り,雪国の人々の知恵と粘り強さが静かに息づいている。特急「はくたか」が爆音を響かせて通過していく高架下で,静かに雨音を聴きながら歩く時間は,何とも言えない情緒に満ちていた。
再び列車に乗り込み,長いトンネルをいくつもくぐり抜ける。ほくほく線はその建設経緯から,全線の全長の約7割がトンネルで占められている。轟音とともに闇を抜け,パッと視界が開けるたびに,小雨に煙る瑞々しい水田の緑が目に飛び込んでくる。その劇的な車窓の変化に胸を躍らせているうちに,列車は織物の街,「十日町(とおかまち)駅」へと到着した。
十日町は,JR飯山線と交差するほくほく線の主要拠点である。
古くから「十日町縮(とおかまちちぢみ)」などの高級絹織物の産地として発展し,冬は雪深く,夏は豊かな水に恵まれる盆地ならではの文化を育んできた。衣服の擦れる静かな音,そして雨がもたらす湿り気が織物の街の記憶を呼び覚ますかのように,駅周辺にはどこか落ち着いた,しかし凛とした空気が流れていた。高校生の私は,駅の待合室で地元の言葉が交わされるのを心地よく聴きながら,この鉄路がただの通過点ではなく,地域の人々の暮らしを確かに繋ぐ生活の道であることを実感していた。
■ 北越急行ほくほく線 旅のミニ知識(2013年7月現在)
ほくほく線の普通列車は,特急の待避を行うために途中の信号場や駅で長めの停車時間を設けることが多い。焦らず,のんびりと車窓を楽しむ心の余裕がこの旅のコツである。また,越後湯沢〜直江津間の普通列車運賃は大人1420円(上越線・信越本線直通区間含む)。旅情を味わうには格好の路線である。
まつだい駅に咲く,情熱の「つまり」のアート
十日町駅を発車し,さらに山深くへと分け入っていく。次に下車したのは,周囲を美しい棚田に囲まれた「まつだい駅」である。
改札を抜けて駅のすぐ外へ出ると,雨に濡れていっそう鮮烈な色彩を放つ,巨大なオブジェが私の目を釘付けにした。世界的な芸術家・草間彌生氏の作品『花咲ける妻有(まつあり)』である。
新潟県十日町市・津南町の一帯は「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の舞台であり,里山の自然の中に現代アートが溶け込む,世界でも類を見ない「広大な美術館」となっている。草間氏特有の水玉模様があしらわれた巨大な花の彫刻は,どんよりとした小雨の空模様を跳ね返すかのように,圧倒的な生命力の叫びを里山に響かせていた。
大地の芸術祭の魅力
過疎化が進む豪雪地帯の里山に,アートという新たな光を当てることで,地域を再生しようという試み。草間氏の作品はその象徴であり,自然の緑と人工的な色彩のコントラストが,訪れる者の感性を激しく揺さぶる。
雨粒が作品の表面を滑り落ち,キラキラと輝く。過酷な冬を乗り越えるこの土地の自然と,人間の情熱が生み出した前衛芸術が,これほどまでに見事に調和していることに,高校生の私は激しい感動を覚えた。アトラクションのような派手さはなくとも,ただそこに佇むアートをじっと見つめるだけで,旅の時間は何倍も深いものへと変わっていく。
終着・直江津。海風の薫る歴史の港へ
まつだい駅からの列車に揺られながら,ほくほく線の旅は終盤を迎えていた。
最後の長いトンネルを抜けると,それまでの山深い景色が嘘のように引き,越後平野の平坦な土地が広がる。犀潟(さいがた)駅からJR信越本線へと乗り入れた列車は,やがて潮の薫りを乗せた風を窓の隙間から滑り込ませながら,終着の「直江津(なおえつ)駅」へと滑り込んだ。
直江津駅は,古くから北陸本線と信越本線が交わる鉄道の要衝であり,かつては北前船の寄港地としても栄えた歴史ある港町である。
ホームに降り立つと,広い構内にはいくつもの線路が走り,かつて多くの夜行列車や特急が行き交った栄華の面影を今に伝えていた。越後湯沢の山あいの小雨から,日本海に近いこの直江津の地へ。特急「はくたか」で駆け抜ければわずか50分足らずの距離を,あえて普通列車で数時間かけて巡った片道旅行。しかし,それぞれの駅で途中下車し,その土地の雨の匂いや歴史,そして里山に咲くアートに触れたことで,私のリュックサックには,速度だけでは決して得られない,贅沢で温かな記憶が満ち満ちていた。
駅を出ると,雲の切れ間から夏の終わりの淡い夕光が差し込み,直江津の古い街並みを静かに照らし始めていた。私は,自分の生きるレールへと進む次の列車を待ちながら,この素晴らしい各駅停車の旅の余韻を,胸の奥でそっと噛み締め続けたのである。
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