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取材:2014年1月
朱の迷宮に迷い込む。冬の朝,伏見稲荷大社で出会った異界の静寂
冬の朝の空気は,刃物のように鋭く,そしてどこまでも透明である。
新しい一日がその訪れを告げた午前7時過ぎ,私は京阪電車の伏見稲荷駅に降り立った。急行や快速急行が通り過ぎるこの駅は,早朝ということもあって,吐き出す乗客の数もまばらである。改札を出ると,肌を刺すような京都の底冷えが,高校生の引き締まった身体を容赦なく包み込んだ。通学カバンではなく,いささか大振りなリュックサックを背負った私は,まだ眠りから覚めやらぬ門前町へと歩みを進めた。
普段なら観光客でごった返す表参道も,この時間だけは静寂に支配されている。大鳥居をくぐり,本殿へと向かう。
伏見稲荷大社は,全国に約3万社あるとされる稲荷神社の総本宮である。その歴史は古く,和銅4年(711年)に伊奈利山(いなりやま)の三つの峰に神様が降り立ったことが始まりと伝わる。秦氏(はたうじ)という渡来系氏族が深く関わっており,彼らの高い農業技術や金属加工技術が,この地の繁栄の基礎となった。五穀豊穣、商売繁盛の神として信仰を集めるこの聖地は,今や世界中から旅人が集まる場所であるが,1月の早朝は,かつて平安貴族や庶民が純粋な祈りを捧げたであろう「神域」そのものの姿を留めていた。
本殿で二拝二拍手一拝の礼を捧げた後、私はこの旅の目的地である「千本鳥居」へと足を向けた。
■ 参拝メモ(2014年現在)
伏見稲荷大社は24時間参拝可能,拝観料も無料である。混雑を避けてゆっくりと写真を撮り,歴史の息吹を感じたいのであれば,午前8時前の到着が絶対の鉄則と言える。
光と影が織りなす「朱の結界」
千本鳥居の入り口に立った瞬間,私は息を呑んだ。
視界のすべてが,鮮烈な「朱色」に染まる。鳥居が隙間なく並ぶその内部は,まるで現世(うつしよ)と常世(とこよ)を繋ぐトンネルのようである。この朱色は,魔力に対抗する色とされ,稲荷大神の御神徳の昂ぶりを表すという。原材料は水銀の化合物である「丹(に)」であり,木材の防腐剤としての実用的な役割も果たしている。歴史的解説を頭では理解しつつも,小説の主人公にでもなったかのような,奇妙な高揚感が胸を突き上げてくる。
一歩進むたびに,自分の足音だけがカツン,カツンとこだまする。
すれ違う人は誰もいない。鳥居の隙間から差し込む冬の淡い朝日が,斜めの光の帯となって地面を照らす。その光の中に,自分の吐き出す白い息が美しく浮かび上がっては消えていった。
「おもかる石」のある奥社奉拝所を過ぎ,私はさらに奥へと進む。山全体が御神体である稲荷山は,進めば進むほどその霊気を増していくようであった。根が地表に這い出た「根上がりの松」や,奇岩が並ぶ奇妙な空間が次々と現れる。高校生の拙い感性であっても,ここが単なる観光地ではなく,千年以上もの間,人々の畏怖と願いが積み重なってできた「祈りの集積地」であることが肌に伝わってきた。
引き返そうか,それともこのまま日常を忘れて進んでしまおうか。そんな心地よい迷いを抱えながら,私はゆっくりと,しかし確実に山を下り始めた。
旅の終わり,そして日常への帰還
一通り境内を巡り,再び表参道へと戻ってきた頃には、時計の針は午前8時を回っていた。
先ほどまでの静寂が嘘のように,少しずつ街が目を覚まし始めている。お土産屋のシャッターが上がる音が響き,どこからか狐煎餅の香ばしい匂いが漂ってくる。日常の匂いだ。
私は再び,京阪電車の伏見稲荷駅へと向かった。
ホームに入線してきた京都方面行きの準急列車に乗り込む。車内は暖房が効いており,冷え切った身体がじわじわと解きほぐされていくのを感じた。
窓の外を眺めると,車窓の向こうに伏見の街並みが遠ざかっていく。リュックサックには,お守りが一つ。そして私の心には,あの誰もいない千本鳥居で感じた,凍てつくような美しさと静寂の記憶が,確かな温度を持って残っていた。ガタゴトと揺れる列車の音に身を委ねながら,私は次の目的地へと向かうため,目を閉じたのである。
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