富山駅近くのホテルで一夜を明かし、朝から富山地鉄に乗車します。
電鉄富山駅→立山駅
乗車するのは朝の快速急行立山行きです。急行列車とはあるものの、地鉄では特別料金なしで乗車ができます。また地方私鉄にしては珍しい種別名ではないでしょうか。
眠たい目をこすりながら、列車は富山駅を出発しました。
市街地を抜けてすぐにはこのように、一面の田園風景が広がります。
しばらく走るとこのように渓谷を進む風景に変わります。
そして立山線は常願寺川に平行して路線を延ばし、
終点の立山に到着しました。
ここ立山は、途中黒部を経由し長野県信濃大町までの立山黒部アルペンルートの起点の駅でもあります。全国でここだけとなったトロリーバスも見られますが、今回は時間と費用の関係でカット。
ここで朝食に立山そばを食べます。その後は折り返し列車まで時間があるため、駅周辺を少し散歩してみます。
こちらは立山駅から岩峅寺方面の線路を撮影した写真です。右が本線ですが、急カーブかつ急勾配の様子がここからも見てわかります。
やって来た上り列車に乗車します。この車両は元京阪特急です。
横江駅
まずは横江駅を訪れます。木造の駅舎がよい味を出しています。
ホームは1線のみの簡単な構造です。
よく見ると、ホーム待合室に「2番線」の表記も見られます。
昔は使用していた線路が現在は撤去されてしまったのでしょうか。
本宮駅
次の下り列車に乗車、本宮駅で下車しました。
この駅は終点の立山の1つ手前の駅で、とても静かで味があります。
無人駅ではありますが、駅舎内は清掃が行き届いていて広いです。
次の列車まで時間がかなりあるため、隣の有峰口駅まで歩いてみました。約20分ほどかけて到着です。
有峰口駅
小さな集落の隅に位置している駅で、かつては特急も停車した駅です。
上部には旧駅名の小見駅の文字も見られます。
駅舎内部も大きく手が加えられておらず、昭和風情を肌で感じることができます。
まるで時が止まったかのようです。
ここ10年のうちに作られたものはなさそうです。
下段駅
有峰口駅からしばらく列車を乗ってやって来たのは、下段駅です。
この流れでもうおわかりですね、木造駅舎です。
田園風景の中線路が一直線に引かれており旅情があります。
次にやって来た列車で岩峅寺へ戻ります。
岩峅寺駅
岩峅寺は乗り換えのために下車したので、駅舎も特別レトロということではありませんが、瓦屋根が雰囲気を出しています。
岩峅寺からは上滝線に乗り換えです。車両はこれまでの旧京阪特急ではなく、旧東急の車両です。
開発駅
開発駅で私を降ろし、列車は富山へ向かって走り去ってしまいました。
塗装、雰囲気も東急時代の車両そのままですが、元の走行地域の世田谷とは車窓は大きく異なります。
開発の読み方は「かいはつ」ではなく「かいほつ」です。
軒先の屋根が広く広がっているのが特徴的です。
開発駅も最初の横江駅と同じく、かつては交換駅でありながら現在は無人駅と化してしまったようです。
現在使われているホームの他にも、かつてはこの駅には貨物の取り扱いがあり、その名残が見られます。
富山地鉄にはこのように、特別注目を集めることはありませんが、往年の賑わいを思わせる木造駅舎の無人駅が数多く残っています。地元の方々にとっては日常の一部に過ぎないかもしれません。しかし、全国他のレトロ駅として登録、保全されている駅と何らクオリティの差がない姿がこのように見られます。富山地鉄のこれらの駅に訪れるには、特別なきっぷの購入や混雑した観光列車に乗る必要はありません。日常の電車に乗ればよいのです。そして往年の当時と変わらない時代を肌で感じることができるのは貴重な経験ではないでしょうか。
大川寺駅
最後に訪れたのは、大川寺駅です。この駅はこれまでの駅とは異なった趣の駅です。
ホームに降り立つと、なんと半分トンネル内に位置しているではありませんか。
駅の全体像はこのように山裾に存在し、屋根だけでなく全体がコンクリートに覆われています。
少し場所を移動すると、山と駅が一体化しているように見えます。
またこの駅はかつて大川寺遊園駅の名前で営業しており、その名の通り富山地方鉄道経営の遊園地が存在していました。しかし現在はそのような面影は見て取れず、駅乗降数も下位となっています。
大川寺駅→電鉄富山駅
橋の向こう側から列車がまもなく到着します。この列車は先ほど開発→大川寺で乗車した列車が、1つ隣の岩峅寺で折り返してきたものです。この位置から撮影し、急いでホームに移動します。
なんとか間に合いました。この列車に乗車し、一気に電鉄富山まで戻ります。
コメント